ヨークルスアゥルロゥン氷河湖を眺めるアイスランドの女性

アイスランド人とは何者か?

Richard Chapman
執筆者: Richard Chapman
認証済みスペシャリスト

一番最初の入植者と言われるインゴルフル・アルナルソン

北大西洋に浮かぶ孤島、アイスランド。日本と同じ、大陸からちょっと離れた島国ですが、そこに住んでいるアイスランド人とはいったい何者なのでしょうか。アイスランドという島と人々の関わりを紹介します。

「入植」以前のアイスランド

アイスランドの歴史は9世紀頃を境目に大きく様相を変えます。後に紹介するヴァイキングたちの「入植」時代以前には、まとまった国という概念はなく、共同体としてのアイスランドは存在していませんでした。ヴァイキングたちがやってくる以前には、アイスランドは無人ではなく少数のアイルランドからの修道士達が住んでいました。その目的や暮らしの様子については不明な点が多いですが、一時的にであっても彼らがアイスランドの地にいた証拠があります。

アイスランドへの入植

アイスランドへの人の定住というのは、案外歴史が浅く、歴史研究者の間では、アイスランドへの入植について874年に始まったということで見解が一致しています。そしてノルウェーのヴァイキング、インゴルフル・アルナルソン(Ingólfur Arnarsson)が一人目の入植者だと言われています。インゴルフルがアイスランドを海から見ると、陸地には地面の噴気孔から蒸気が上がっているのが見えました。インゴルフルはそれを煙だと勘違いし、煙たなびく湾=アイスランド語でレイキャビク(Reykjavík)と名づけました。これが、今の首都、レイキャビクの名前の由来なのですが、この「レイキャビク」という場所が市となったのは1786年と、発見からおよそ1000年も後のことです。長い間、レイキャビクは何の変哲もない土地だったのです。

アイスランドの「入植の時代」は874年から930年の間だと言われています。930年にはシングヴェトリル(Thingvellir)に国民議会アルシング(Althing)が設立されました。アルシングは世界で始めての民主議会だとも言われています。国民全員が一同に会し、会議を行ったわけではありませんが、それぞれの地域の代表者を送り審議をし、法の制定等を行っていました。シングヴェトリルはゴールデンサークルの一部で、人気の観光スポットです。アイスランドの歴史に思いを馳せながら散策するのも良いのではないでしょうか。

最近の発掘調査によるとレイキャビクで発見された遺跡は871年から前後2年ほどのものだということがわかりました。また、ノース人1のヴァイキングと、入植時代にアイスランドに住んでいたゲール人の修道士達と交流があったという記録も発見されました。現在でも、入植当時から書き記されたアイスランド・サーガのおかげでヴァイキングたちの様子について知ることができます。日本では9世紀といえば平安時代初期。アイスランドの歴史は浅いものの、その当初からの記録が現存しているというのは面白いことです。

アイスランド人の祖先

実は、アイスランド人の祖先の60パーセントはスカンジナビアから来たノース人で、残りはスコットランド人やアイルランド人の血を受け継いでいます。全員がノース人だったわけではありません。これは、ヴァイキングたちがアイスランドへの航行の途中でスコットランドやアイルランドに寄り、そこの人々を奴隷としてアイスランドへ連れてきたためです。ヨークルスアゥルロゥン氷河湖を眺めるアイスランドの女性

やがて彼らは「ミックス」していきました。そのため、アイスランド人は色白な肌であり、多くの人がブロンドか、赤毛の髪の毛、そして青い目を持っているのです。なかには、だからアイスランドの男性は強くい、そして女性は美しいのだ、と冗談を言う人もいます。「強いものだけが生き残る」ヴァイキングの遺伝子と、美しいゲール人の血が混ざったのだ、ということです。

アイスランドの独立

アイスランドはヴァイキングの国でしたが、その後デンマークの統治下に置かれ、その後ノルウェー、そしてまたデンマークと、数百年の間、他国の統治下にありました。北欧での勢力変化にアイスランドも翻弄されていたのです。アイスランド共和国として独立したのは1944年のことです。アイスランドの独立記念日は19世紀の独立運動の指導者だったヨゥン・シグルズソン(Jón Sigurðsson)の誕生日にちなみ、6月17日に定められました。ただし、ヨゥンは1879年に亡くなっており、アイスランドの独立を目にすることはありませんでした。

不思議なことに、ヨゥンは「ヨゥン・プレジデント」と呼ばれていて、そのためアイスランドの初代大統領だと思っている人もいます。しかし、ヨゥンはアイスランドが独立する以前に亡くなっていますので、これは誤りです。なぜ「ヨゥン・プレジデント」かというと、彼がコペンハーゲンのアイスランド文学会でプレジデントを務めていたことがあるためです。またアルシンギでもプレジデントの役を何回か務めました。プレジデントという役職ではありますが、アイスランド共和国の大統領としてのプレジデントではありません。しかしアイスランドの500クローナのお札にはヨゥンの肖像が描かれているほか、ダウンタウンのオイストゥルヴォルル(Austurvöllur)には彼の銅像があり、今でも慕われている人物です。

現代のアイスランド

現在アイスランドの人口は32万人ほどです。殆どの人はヴァイキングの時代からのアイスランド人ですが、スウェーデン、デンマークなど、他国からやってきた人もいます。アイスランドでは父親の名前をラストネームとして受け継ぐのが決まりですが4、中には名字を持っている人もおり、先祖が他国から移住してきたことがわかります。また、アイスランドを離れ、ヨーロッパ各国やアメリカ、カナダへと移住したアイスランド人もおり、外国との交流は盛んです。ヨーロッパからは特別なビザが不要なため就労目的で移住する人も多く、アイスランドの自然に憧れて働きに来る人は少なくありません。移民の数は約2万人でヨーロッパ以外からも来ています。

今まではどちらかといえば閉ざされた国であったアイスランドですが、人の移動が盛んになったことでアイスランドもより多様化していくことでしょう。

 

翻訳者より補足

1.Norse ノース人、古代スカンジナビアの人々

2.Gaelic ゲール人。ケルト人の一派でアイルランドやスコットランドにいた

3.President 大統領のほか、会長や部長という肩書きもプレジデントである

4.息子であれば「父親の名前+ソン」、娘であれば「父親の名前+ドッティル」というラストネームが付く。ヨゥン・シグルズソン(Jón Sigurðsson)であれば、ファーストネームがヨゥンであり、父親の名前がシグルズルということになる。シグルズソンというのは名字ではない。

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