私は男ではありません。今までも男性として生きたことはありません。私は男性らしく振舞ったり行動したりということはしませんでした。これは私の主義なのです。

ーヴィグディス・フィンボガドゥティル、前アイスランド大統領(1980〜1996)

男女平等とは男女の性に関係なく平等な機会と資金や財産といったリソースがあること。男女平等は基本的な人権であり、地球の平和と繁栄ために必要な一つの基盤です。

ジェンダー(gender)とは、単に生物の性別を表すためのラベルとして使われることがあります。しかし最近では個人のアイデンティティー、社会の中での役割や日常行動を含めた、人間の生活の中で性別や役割を表すために使われています。ここで重要なのは女性の権利と地位の向上です。女性が自分の利益のために、そして社会の利益のために行動できる文化の着実な構築を意味します。 

2017年現在、アイスランドは7年連続で世界経済フォーラムの男女平等に関する調査でトップを飾っています。144カ国のうち、この小さな島国は女性の政治権力の強化で1位、男女の収入の差を縮めたことで1位を獲得しています。アイスランド政府は2022年までに、この差をなくすことを掲げています。企業代表者の44%も女性で占められています。大学の卒業生の66%は女性、国の62議席中30議席(48%)は女性が占め、2009年から2013年にかけてはヨハンナ・シグルザルドッティルが女性初の首相を務めました。また、女性の就業率も高く、なんと80%以上女性が働いています。

平和的なデモをするアイスランドの女性たち写真: Magnus Fröderberg. Wikimedia. Creative Commons. 

アイスランド人がこのような男女平等を示す統計の結果に誇りを持っていることは、正しいことだと思います。しかし、アイスランド人は現在の統計の結果に安住するのではなく、政府の妥協案(将来的な収入の格差の是正)に対して戦いを継続していることは、自らを称賛するに値するでしょう。

男女平等という発展の為に戦うことは今までしてきたことであり、何も新しいことではありません。2016年世界経済フォーラムの調査でフィンランドが2位、ノルウェーが3位、スウェーデンが4位となっており、アイスランドや北欧諸国は男女平等に関して常にリードをとってきた国地域です。

北欧諸国が男女平等において上位にランクする状態は約20年続いており、アナリストは各国の女性の就業率の高さ、男女の給料格差の縮小、女性が企業や政治で昇格する可能性の高さを指摘しています。北欧諸国でこの傾向がみられる要因としては様々な点が挙げられますが、上記の4ヶ国全てが男女共に99%の識字率を誇り、この識字率は数十年前に達成されていたことが要因の一つとなっています。

高校以上の教育では、男女比は逆転しており、男性より女性の方が多く大学に通っています。法律も進歩を支える例外ではなく、母親だけでなく父親にも強制的な育児休暇を与えています。これにより、父親、母親のどちらも家族と仕事のバランスをとり、その負担や分担を簡単にシェアできるようになっています。

目次

アイスランド女性の歴史     

アイスランドの女性は美しいだけではありません

アイスランドの歴史を記した書物、サガに登場する女性の数は多くはなく、登場する場合、魔女、女中や女神など様々な姿で登場します。しかし、中世のアイスランドにおける女性の自立心や強さについては多くの例があり、特に「ラクスダエラ・サガ」(Laxdæla saga)と「焼き討ちのニャールのサガ」(Brennu-Njáls saga)がその代表的な物語でしょう。

アイスランドの強くたくましい女性のイメージは、海国としてのアイスランドの歴史にさかのぼります。定住当時から男性は海に出て漁をしたり、ヴァイキングとして他国を襲撃するために、妻や家族を家に残して離れて生活していました。そのため、本来男性の役割であった狩り、土木作業、農作業なども女性の活躍の場となりました。それ以外にも、女性は育児、衣服作り、食事の準備などの家事に追われていました。男性のやるべき仕事にも参加していたとはいえ、中世の女性は決して平等を謳歌していたわけではありません。中世の法律書グラォガォス(Grágás)には、女性は男性の服を着てはいけない事、髪を短く切ってはいけない事や武器を携帯してはいけない事など、男女をはっきりと分ける決まりが書き記してあります。

しかしこれには例外があり、ラクスデーラ・サガには興味深い女性の話が記してあります。

アイスランドの定住の歴史が始まって間もない9世紀、ウンヌル・ケティルスドティル(Unnur Ketilsdottir)はスコットランドに住んでいました。しかし彼女の夫は裏切りにあい殺されてしまいました。スコットランドに未亡人として取り残されたウンヌルは、アイスランドに住む家族の元に帰る一心で密かに船の建造を依頼しました。そして後に船長として舵を取り、アイスランドに帰るという当時の女性像とは大きくかけ離れた活躍をした人物です。

彼女の元で働いた20人の乗組員は奴隷と囚人で、彼らもスコットランドを逃げたい一心でした。アイスランドに到着後、ウンヌルは乗組員に自由を与え、尊敬される慈悲深いリーダーとしての地位を確立しました。何よりも、彼女は行動を起こす女性という確固たる名声を得たのです。

後に、ウンヌル土地を得て、農場を経営し、彼女に協力する人々には善を施しました。彼女が亡くなった時、ウンヌルは船の中に安置され埋葬されましたが、これは通常、地元の裕福な男性にのみ与えられる名誉ある埋葬方法でした。

この例にあるように、北欧社会の女性は他のヨーロッパの女性よりも高いレベルの尊敬と自由を得る可能性があったことを示しています。女性は資産を管理し、夫が不在の中で農場を経営し、未亡人になっても裕福な地主になることができました。また、女性は性的な嫌がらせや暴力からも法律によって守られていました。女性への暴力は暴行者が死罪となる可能性もありました。

伝統的なアイスランドの家、ターフハウス写真: Historical Icelandic house. Wikimedia. Creative Commons. 

「焼き討ちのニャールのサガ」にはこんな話も。飢饉が蔓延し食料が少なかった当時、ハルゲルズ(Hallgerður Höskuldsdóttir)は奴隷に近くの農場からパンを盗ませます。勇敢な戦士、グンナル(Gunnar)はそんな妻の行動を咎め殴ってしまいます。飢饉の中で、食べ物を盗むことは重大な犯罪でした。

しかし、盗みを働かせたハルゲルズは、グンナルの暴力を責め、殴った罪を償う時が来るだろうと言いました。そして物語の後半、グンナルの家は敵に囲まれますが、優れた弓術で攻撃に耐えます。最初は果敢に戦っていましたが、間も無く戦いの最中に弓のつるが切れてしまい、グンナルの妻に助けを求めます。しかしハルゲルズの答えは期待を裏切るものでした。

「なぜあなたを助ける必要があるの?」と彼女は尋ねます。

「俺の命がかかっている」彼は答えます。「弓で攻撃できる限り、彼らは俺の命を取ることはできない。」

「あなたが私を殴ったことを思い出すと、あなたが長生きしようとしまいと私には関係ないわ。」

「もう二度とお前には頼まない!」グンナルは言いました。

こうしてグンナルは敵に攻め入られ自宅で殺害されました。ハルゲルズは逃げることを許されましたが、彼女の行動は大いに非難されました。

ヘルガとグンロイグの今生の別れ写真: The Last Parting of Helga and Gunnlaug. Wikimedia. Creative Commons. 

グンロイグのサガ(Gunnlaug's saga)に登場するヘルガ・ザ・フェア(Helga the Fair)でも、中世のアイスランド人たちの女性に対する視点が記述されています。

ヘルガは絶世の美女で、高貴な戦士であるグンロイグ(Gunnlaugr Ormstunga)とフラップン(Hrafn Önundarson)との三角関係に陥りました。両戦士は彼女との結婚をめぐっての戦いで亡くなりましたが、ヘルガはまだグンロイグを深く愛していたました。しかし、悲しみも癒えないうちに別の男性と結婚させられました。彼女は恋人の死を悲しんで残りの人生を過ごしました。

このように一途な女性の心を描く一方、サガに登場する多くの女性は「扇動者」として描かれています。サガには女性たちが家族の名誉を守るために、夫や男性の家族にアクションを起こすように説得する姿が描かれています。時にそれは復讐など暴力的な場合もあります。

学者たちの中には、この「扇動者」としての姿は、女性が従来の役割を打開できなかった無力さに由来していると主張しています。

アイスランドの女性参政権への道のり     

19世紀と20世紀はアイスランドにとって文化的、政治的、社会的に大きく変化した時期でした。デンマークの支配下にあったアイスランドでは、ヴァイキングたちの定住当時からの伝統であった民主議会、アルシング(Alþingi)が禁止されていましたが、1845年にアルシングの再設立が許可されました。これは後に立法府や財政機関としての影響力を拡大しました。アイスランドは1904年には内政自治を獲得し、デンマーク王政の支配力は弱まりました。1918年、アイスランドは国家として認められました。この時点では、アイスランドの元首はデンマーク王であり、デンマークとは強い関係を保持していましたが、1944年に独立を宣言しデンマークから完全な独立を果たしました。

女性参政権を求めるデモ

この独立への動きの中で、女性の政治参加についても進展がありました。

度重なる会議の中で、アイスランドの議員達は女性の参政権について多く議論し、その案を支持しました。しかしデンマークの王政は保守的で、女性の参政権は早々に却下されてました。1850年になり、アイスランドは男女平等に相続権を与える世界初の国となりました。1881年には、女性も地方選挙や大統領選挙に投票できることが突然決まり、その21年後、女性は投票するだけでなく、議員として立候補する権利も得ました。こうして、女性参政権と政治での活躍の第一歩が踏み出されたのでした。

アイスランドの女性を中心とするは初めての組織は19世紀の後半に結成されました。1869年には地方で女性の団結に焦点を当てる女性団体(woman’s association group)が結成されました。この団体は特定の政治的目的はありませんでしたが、団体の結成自体がアイスランド社会を覚醒させ、多くの活動を生み出すきっかけとなりました。

1874年にはレイキャビクでは女子大学が設立されました。海外の女性運動の影響も受けていますが、この大学は現在も運営されています。創設後約100年は女性のみ受け入れていましたが、1977年に初めて男子学生を受け入れ、現在は男女共学の大学として運営されています。

レイキャビクで行われる女性参政権を求めるデモ

最初の完全な女性の政治的権利組織であるアイスランド女性協会 Icelandic Women’s Associationは1894年にレイキャビクで設立されました。この協会は女性支援のためのミーティングを開催し、議会に働きかけ、請願書を配布し、女性の権利を強く求めました。結成から1年で議会への請願書に2000名以上の署名を集めることを実現しました。1907年には全国から男女含め11000人以上の署名を集めた請願書を作成しました。1911年、女性は公的助成金、公職及び教育への平等な機会を獲得しました。

1915年6月15日、40歳以上の女性に国政選挙での投票権が与えられましたが、男性は25歳から投票でたので平等ではありませんでした。1917年には女性も男性と同じ親権を与えられ、1920年には女性の投票権の年齢制限がなくなり、ようやく、男性と同じ権利が与えられました。

伝統衣装を着るアイスランドの女性達

写真: Photo by Berit Wallenberg (1930). Flickr. Creative Commons. 

この2つの大きな変革の流れの中で、多くのアイスランド人は地方の農場や漁村からレイキャビクへ移住し始めました。1920年には人口の20%がレイキャビクに住み、小さな町だったレイキャビクも、都市という姿に変わっていきました。社会運動、圧力団体が盛んになっただけでなく、産業や商業も大きく発展しました。今までほとんど存在しなかった中産階級の力は強くなり、行動主義の基礎が築かれました。

アイスランドの現代フェミニズム     

1975年の女性の休暇に行われたデモの様子写真: Ólafur K. Magnússon、Icelandic women's 'Day Off' in 1975. 

そして記念すべき10月24日、女性の人口の約90%が「女性の休暇」と称して仕事も家事もしないストライキを行いました。普段の仕事をしたり、食事を作ったり、子育てをしたり、家事をする代わりに、25000人の女性は変革を求めて団結し、レイキャビクのダウンタウンに集まりました。アイスランドの経済を支える労働力として、女性がどれほど不可欠であるかを証明するためでした。 

アイスランドの社会はすぐに女性の不在感を認識しました。幼稚園や学校は職員不足で閉鎖となり、父親が職場に子供を連れていき、印刷係がほとんど女性であったため、新聞は印刷できず、商店は店を開けることができませんでした。電話交換手も応答せず、いくつかのラジオ放送局でも止むを得ず放送停止となりました。

これとは対照的に、レイキャビクのダウンタウンは歓呼の声で包まれていました。鍋を叩いたり、口笛を吹いたり抗議の看板を持っている人で一杯でした。この最初の女性のストライキの日からわずか5年で、アイスランドでは世界初の民選の女性国家元首としてヴィグディス・フィンボガドゥティル(Vigdís Finnbogadóttir)が大統領をに就任したのです。この「休暇」と題したストライキは大成功でした。「女性の休暇」はその後も継続し、は1985年、2005年、2010年、2016年に開催されました。

政界で活躍する女性たち    

アイスランドの大統領を務めたヴィグディス・フィンボガドゥティル

ヴィグディス・フィンボガドゥティルは16年間アイスランドの大統領を務め、現時点では女性大統領として世界最長の任期です。

彼女が当選した1980年代は、シングルマザーにも厳しい目が向けられていた時代。そんな中で、離婚したシングルマザーのヴィグディスが大統領に就任したことは海外では大きな衝撃となり否定的にも受け取られました。海外メディアの見出しには、単に「女性大統領」であると取り上げられていたのです。

当初ヴィグディスは立候補することに躊躇していましたが、支援者の女性達ははキャンペーンを成功させ女性でも当選できることを証明しようと、ヴィグディスを説得しました。結果、僅差での勝利でしたが、大統領に就任後の彼女の人気は急上昇し、その後も3回当選しています。

多くのアイスランド人に愛されたヴィグディスですが、彼女は自分の当選は1975年の「女性の休暇」によって与えられたことを認識していました。彼女は大統領として女性の教育の発展を積極的に追求し、「女性を失望させない」をモットーに若いアイスランド人女性のロールモデルとなりました。

彼女は女性運動だけでなく、環境問題にも力を注ぎました。また、1980年代には米国、ロナルド・レーガン元大統領と、ソ連、ミハイル・ゴルバチョフ書記長の間で行われたレイキャビク首脳会談 (Reykjavik Summit)の開催にも尽力を注ぎ、冷戦の解決にも貢献しました。

議員として活躍をしているアイスランドの女性達議会で授乳をしたUnnur Brá議員と他の議員たち。

アイスランドの政治においてリーダーとして活躍した女性はヴィグディスだけではありません。

2009年、ヨハナ・シグルザルドッティル (Jóhanna Sigurðardóttir)はアイスランドの最初の女性首相として就任し、偶然にも、世界初の同性愛者の国家元首となりました。そして、性的暴力やレイプから女性が法律によって守られるよう尽力しました。性的暴力反対運動を推進しているレイキャビクの組織であるスティガモット(Stígamót)のグズルン・ヨンスドッティル(女性)は首相について、「ヨハンナは党内の男性に異議を唱え、彼らに抑圧されることを許さない点で偉大なフェミニストである」と述べました。

レフト・グリーン・ムーブメント党の元女性議員、コルブルン(Kolbrún Halldórsdóttir)はストリップやラップダンスをなくすために活動しました。これは、宗教的な価値観に基づくものではなく、フェミニズムに基づいた主張でした。当時、彼女はメディアに対し「女性のみならず人間を商品として売る行為は許せない」と主張しました。

2010年、ストリップクラブ、売春、従業員のヌードを商売とする行為は全て違法になりました。この新しい法律により、人身売買や風俗に関係する大手企業や団体を閉鎖することが可能となりました。

女性だけにとどまらない平等への動き     

アイスランドでは単に男女の平等を追求するだけではなく、性的少数者といわれるジェンダーの理解や権利の推進にも力を入れています。LGBTQIAコミュニティに対しても、アイスランドは平等を推進する最前線にあり、異性愛者以外の人(ノンバイナリー)も社会の一員として受け入れられています。

上記の動画ではウグラ(Ugla Stefanía Kristjönudóttir Jónsdóttir)がレイキャビクでのTEDxのトークで、異性愛者以外の人の置かれる状況や現代社会で直面する問題について講演しています。

ウグラはアイスランドのLGBTQIAの権利団体トランス・アイスランドの元議長です。非性的な代名詞を好むトランスジェンダーの権利活動家として、ハフィントン・ポストに同性愛者の権利について記事を書いたり、彼らの人々に関する情報を広め、世界中で同性愛者の権利を守る援助をしています。

トランスジェンダーや同性愛者が真に社会に容認され尊重されるには至っていませんが、アイスランドにはこのような人々が自由に自分を表現できる基礎があります。トランスジェンダーのように自己が主張する性、生まれたときからの性に関わらず、性別に基づく差別は違法であり、性転換の際、法的書類上問題なく名前と性を変更できます。2012年に法律が制定されて以来、LGBTQIAの人々の権利も保護されています。

まだ完全ではありませんが、初めてトランスジェンダーの人がカミングアウトした時代に比べ、現在のアイスランドは、男女に当てはまらないその他のジェンダーの存在を寛大に受け入れるようになりました。アイスランドでLGBTQIAへの風当たりが厳しかった1989年、トランスジェンダーであるアンナ(Anna Kristjánsdottir)は支援を受けるためにスウェーデンへの移住を余儀なくされました。帰国後、アイスランド社会は彼女をトランスジェンダーの先駆者として讃えました。


アイスランドでの同性愛者やトランスジェンダーの人たちについて


現代の男女平等     

このような自由で進歩的なアイスランドですが、まだ課題はたくさんあります。アイスランドの女性経営者は全体の22%、そしてテレビでインタビューされる専門家の女性の割合は30%で、少数派です。女性は依然として男性より経済力が弱く、その収入は平均で14%から18%、男性の収入より少なくなっています。労働組合や平等主義を掲げる人々は、アイスランドの男女の賃金格差の厳しい現実を指摘しています。この賃金格差をカレンダーに例え、男性が1年分(12月31日まで)の給料をもらっていることに対し、女性は11月10日までの給料しかもらえていないと主張しています。言い換えれば、1日分の賃金をもらう男性に対し、女性は14時53分までの給料しか支払われていということです。これが2017年現在の賃金格差の現実です。

セクシュアルハラスメントや家庭内暴力などの犯罪も注目をされるべき分野です。2015年の調査によると、サービス業をしている女性のほぼ半数が何らかしらのセクハラを経験しています。

家庭内暴力に関しては大きな進展がありました。2015年には、警察に通報された家庭内暴力の94%は棄却されましたが、2016年にはこの割合は3%へと著しく減少しました。これは警察と直接協力している国連のキーピング・ザ・ウィンドー・オープン(Keeping the Window Open)プロジェクトによります。また、最近の法律では、家庭内暴力の加害者や被告に家庭からの退去を強制することもできるようになりました。

性的暴力も問題となっています。統計によれば、性的暴行に遭った被害者のほんの一部しか警察に被害届を出さず、その中で法律上有罪となる件数も少数です。アイスランドでは性的暴力を受けた女性のために緊急施設が2か所あります。この施設には専門の看護師、精神科医、サポートスタッフ、また、法的援助や警察と裁判所との連携手段を提供する弁護士のチームが配置されています。

家庭内で暴力を受けた女性や子供たちのための女性用避難施設も存在します。2015年には約400人の女性が避難施設に助けを求め、そのうち126人は実際に継続的な暴力を逃れるために施設へ入居しました。

また、1935年1月28日、アイスランドで人工中絶が公認され、それは現代の中絶に関する法律に至ります。アイスランドは世界で初めて人工中絶を認めた国ではありません。ソ連とメキシコはそれ以前に中絶を合法化していましたが、のちに違法とした歴史があります。

フリー・ザ・ニップルのキャンペーンのポスター

このように、法的な人権や平等は高い水準で保証されているアイスランドですが、潜在的な差別的意識は、まだまだ改善の余地があります。ある女子学生が男女平等を主張して自分のツイッターに自分の乳首の画像を載せたことにより、彼女は男性のクラスメートから非難を浴びました。この問題は急速に波及し、彼女の行動を支援するために、2015年にアイスランドでフリー・ザ・ニップル( #FreeTheNipple)というキャンペーンが行われました。キャンペーンは、女性の乳房の検閲と女性の体の性的対象化の二重基準1に焦点を当てました。1975年と同様、男女共にレイキャビクの街を歩き、女性の乳房を極端に性的化することに反対すると主張しました。

アイスランドでは公共の場で授乳することは当然のように受け入れられています。2016年には乳児を連れ議会に出席していた国会議員が議会中に授乳していたことが話題となり、「審議中に授乳をする国会議員」として国際的な注目を浴びました。

近代に入り、女性の地位向上に対する意識や法の改革は一貫しています。2015年には女性の投票権獲得100周年を祝いました。

最近では、アイスランド政府が男性対象の男女平等会議を開催しました。そこでは、現代の様々な不平等の問題を解決するためには男性の力が必要であるという重要なメッセージが発信されました。男女平等の法律制定の40周年を迎えた2016年、アルシング議会はその法律の改正を行い、家庭内暴力やストーカー行為に対する処罰を厳しくしました。

まだ多くの課題は残っていますが、アイスランドは世界に先駆けて完全なジェンダー平等を目指しています。法の下の平等だけではなく、人々の意識にまで波及する平等の精神と、個性を尊重し、個人の権利を擁護するアイスランド。その自由で力強い国の今後に期待が集まります。


翻訳者注

1 男性の写真であれば上半身裸でも大丈夫ですが、女性の上半身裸の写真では検閲の対象になること、なぜ検閲の対象になるほどに女性の乳房が性的なものとして認識されるのか、ということに疑問を投げかけています。